首都旅行記
プエルトリコのクリスマスライト(by Mikaさん)
プエルトリコ(Puerto Rico)の首都 サンファン(San Juan)の クリスマスのイルミネーションは すごい!
街のいろんなところに 大規模なイルミネーションがある。しかも、立体型で!
クリスマスの時期、キリストが生まれた馬小屋の様子を再現するベレン(Belen)がよく見られるけど、丸ごと イルミネーションになっている。(ベレンは 主にカトリックが行うものなんだけど、プエルトリコは 85%が カトリックらしい)
ワンパターンになりがちなデコレーションだけど、見渡す限り 色んなデザインがあって 飽きない。大きな花がついていたり、カラフルな色が使われているのが 南の島らしいデコレーションだ。
この日は船が着いた港が サンファンの旧市街地から 遠い距離だった。タクシーに乗ろうと思っていたのに、スペイン人のマリアが 通りがかりの車をヒッチハイク。(言葉が通じる、っていうのは 強い。)感じのいいおばさんに 旧市街地まで 乗せて行ってもらう。
イルミネーションを楽しんだ後は、あたしたち ごひいきのレストラン・カフェにて いつもの モヒト(Mojitos)を飲む。ここの モヒトは絶品で、常連のあたしたちには ラム酒の量を 少し多めに入れてくれる。
酔い覚ましついでに また 街をブラブラ歩いたり、スーパーで日用品を購入。あんまり英語の通じないプエルトリコでは スペイン語をしゃべるマリアがいてくれると心強い。
かつては スペインの支配下だったこともあり、ヨーロッパの影響を見ることができる、プエルトリコ。スペインと同じように12月25日から 1月6日までクリスマスを祝うので、デコレーションも6日を過ぎないと はずさないらしい。クリスマスを過ぎても しばらくは クリスマス気分で楽しめそうだ。
遥かなるアドリア海Vol.5 Sibenik 〜それぞれの旅路〜(by garnet_eagle326さん)
海を離れ、草原を抜けて、山々を越えて、森の中へ
幾多の街を通り過ぎながら、僕の旅は続いていく。
それは僕だけの旅の物語
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翌朝のスプリットは雲に覆われていて、少し肌寒かった。
昨日の快晴とはまたうってかわってのどんよりとした天候。
それでも朝の始まりと共に人々の賑わいの声も聞こえてくる。
そしてトムと僕もそれぞれの旅を続けていく。
出発の朝、トムとお互いのこれからの旅路を言い合った。
僕はこれから海を離れて北に向かい首都ザグレブへ、
そしてイタリアのヴェネツィアまで向かう。
一方トムは、海沿いに南へ向かいドブロヴニク、
そしてギリシャのアテネまで行く。
最終的にはエーゲ海を渡り、トルコのイスタンブルまで行くという。
トムが最初にフランスに来たのが9月中旬、その後1ヵ月半でクロアチアまで来て、トルコに着く頃には12月ごろじゃない?っとか笑いながら話す。まさしく大冒険。お互いの旅の規模は違えど、やっぱり旅っていいよね。これが共通意見(笑)
トムの使っているチャリは自分のと似ている・・・ってか自分もこんな旅ができるのか!!!っとか思いながら「いつか日本に来なよ!」っといって握手して別れた。そして自分もこの旅を続けよう。また新たな出会いと発見を求めて。
スプリットの街をあとに、とりあえずアドリア海沿いの街シベニクへ向かうことにした。昨日行ったトロギールの町を過ぎてしばらく車内で寝たあと、起きて見ると天気は快晴!!!やっぱお天気の神は俺の味方だよね〜♪って満面の笑み。
シベニクは急な斜面の上にできたような街で、街中階段だらけで歩くのに一苦労。。。だが街の上の要塞から見る景色はやはり最高。ドブロヴニクもスプリットもいいがシベニクもやっぱ最高。そしてここダルマチア北部一帯は美しい観光名所がいっぱいあることが発覚。日本のガイドブック(地球の○き方)はまだまだ甘い、、、ここにはまだ自分らが知らない名所がいくつもあるのだから。
その後、昼過ぎにプリトヴィッツェへ向かうバスを捕まえて乗車、そして乗車直後に腹痛発生、、、さすがにトイレ行かしてくださいとか言えなくて、ひたすら我慢、我慢、我慢、、、美しい景色もこれじゃーね。。。1時間後、ザダルの街、、、その直前に母親から悠長な電話、まじでキレそうになる。。。そしてザダルのバスターミナルで我慢できず、、、、、
っとまぁ旅のいい思い出です(笑)
結局シベニクからプリトヴィッツェまでは4時間近くかかった。
プリトヴィッツェに着いたときはもう夜で、道の灯り以外何もない暗闇の中に、いきなり降ろされてしまう。この真っ暗な公園内で唯一営業しているホテルを探すために公園の入り口を探す。。。
路肩を歩く自分の横を車が猛スピードで駆けていく。そして暗闇で足を取られて、路肩の崖の下に危うく落ちかけてしまったり、、、苦労しながらホテル発見。ホテルまじ最高でした☆
海を離れて草原を行き、まるで西部アメリカのグランドキャニオンのような荒野と渓谷を目にしながらバスは森の中へと入っていく。いくつもの景色があり、いくつもの人々の旅があり、いくつもの思い出が残った。そんなこの旅もいよいよ後半へ・・・!
都市空襲の記憶?〜重慶爆撃とパンダだ☆成都だ!大足だ〜(三峡博物館の暗い道)(by きっちーさん)
四川省大地震
出張から帰ったら、四川省がとんでもない事になっていて驚いています。
震源地は成都から北西150キロの汶川県。
マグニチュード7.8。
東京大学地震研究所によると、地震のエネルギーは阪神・淡路大震災(M7.3)の約十倍に相当する、という想像もつかない大地震だそうです。
重慶でお世話になった地元の方たち、重慶爆撃の戦跡あとを探すのを手伝ってくれた霧都賓館のスタッフの方たちや、タクシーの運転手さん、困ってるときに助けてくれた地域の人たち、みなさんの無事が心配です。
現地映像にまだ接していないのですが、新聞でみるかぎり被害は震源地に近い成都だけでなく、四川省の広域にわたっており、重慶近郊の被害も伝わってきています。
重慶の北部梁平県では、小学校2校が倒壊し死傷者が出ている、という情報も流れています。
一刻もはやい救助と援助が必要です。
自分にできることは、もちろんするつもりですが、ふだん中国旅行記を楽しんでいただいているみなさんにも、心に留めて頂けたらと願います。
現地の人たちの助けになることなら、どんな小さなことでも力を貸してください。
お願いします。
2008.5.13. きっちー
旅行記『都市空襲の記憶』も、いよいよメイン?
旅程は以下の通りでーす。
重慶→成都(三星堆博物館・青羊宮・杜甫草堂・武侯祠・成都動物園・昭覚寺・文殊院・永陵博物館)
→黄龍渓(古鎮)→成都
→大足(宝頂山石刻・北山石刻)
→重慶(三峡博物館・桂園・曾家岩50号・紅岩村・徳意大(?)炸遺跡・十八梯・磁器口古鎮・文化宮・重慶動物園)
ついに重慶へ!
今回は、大足→重慶(三峡博物館)!
『重慶大爆撃』。
南京大虐殺は有名ですが、重慶大爆撃は知ってる人が意外と少ない。
かくいう私も、最近まで全然知りませんでした。
関連書籍も南京大虐殺に比べると、歴史修正主義の本すら見当たりません。重慶爆撃のまぼろしとか?
日中戦争時。
首都南京から国民政府が遷都したのち、南京城内外で武装解除した兵士・非武装市民・避難民に対し、進軍してきた皇軍は空前の規模で集団虐殺・レイプ事件を引き起こします。
さらに、蒋介石率いる国民政府を追って皇軍は、武漢、重慶へ迫ります。
しかし、けわしい山岳地帯に囲まれた天然の要塞・重慶は、地上軍では近づくことが出来ず、空からの攻撃が行なわれたのです。
一般市民を巻き込んだ市街戦のあった上海から、南京へと続いた虐殺の道程、去年はとりあえず南京へのふたつのルートを行きましたが、今回はさらにその先へ。
重慶を訪ねる旅をしています。
ごくあたりまえの生活が営まれていた都市部に、落とされ続けた爆弾の雨のした、何が起こったのか。
人々の日常が、いかに破壊されたかを、日本では知りえない情報も探してみようと、歩いてきました。
中国の人がイニシアチブをとった政権を追いまわし、行く先々で住民を虐殺しながらも、「アジアを開放する」とした日本の侵略戦争。
重慶大爆撃は、日本においては南京とちがい、議論すらおこらない「忘れられた戦争」になっているのかも知れません。
「忘れられた戦争」は、重慶に限らず、沖縄についてもいえるでしょう。
教科書検定によって、アジアの被害だけではなく、地上戦を戦った沖縄の住民の記憶、『日本軍によって「集団自決」を強制された』という部分が削り取られ、『追いつめられ「集団自決」をした』と、「修正」されました。
つまり、自決を迫ったのは誰だったかの部分。「加害者=日本軍」を無くしちゃったわけです。
「日本軍にやられたのだ」という沖縄の生存者達の証言に耳を貸さず、過去を否定しようという姿勢は、アジア各国の被害者への対応とパラレルです。
「日本人」の被害も、認めない。
そうやって「軍隊は民衆を守る」というフィクションを作りあげていく先に、なにがあるのか。
考えると空恐ろしく感じます。
過去の戦場を歩くのは、知らないことを知りたいからだけじゃなくて、イラクやアフガニスタン、沖縄の現在につながっているからだと思います。
前置きが長くなってしまいましたが、世界遺産『大足石刻』をガッツリ堪能したきっちーは、以上の心意気(?)で重慶に舞い戻ったのでした。
まあ、いきなり重いのもなんなので、「まずは博物館かナ〜」と訪ねた先で、強烈な出会いをすることに・・・!
戦争とはまったく無関係に思っていたあの香港で、日本軍の起こしていた餓死事件。
そして、今でも手紙をくれる秀芬小姐の住む、なつかしい平遙の、その山西省で、女性たちが「慰安婦」として連れさらわれていたという、事実。
それらを知った時と、同じ衝撃が待っていたのです。
横浜ベイブリッジと鶴見つばさ橋の美 ☆飛鳥?の接岸も見られて(by マキタン2さん)
横浜ベイブリッジ(よこはまベイブリッジ)は、1989年に開通した神奈川県横浜市にある長さ860m(中央支間長460m)の斜張橋(吊り橋)である。東京港方面と横浜港を結ぶ港湾物流の一端を担うことにより、都市部の渋滞を緩和する重要な輸送路である。
本牧埠頭A突堤(中区)と大黒埠頭(鶴見区)とを結んでおり、上層部は首都高速道路湾岸線で、下層部は国道357号となっている。大黒ふ頭側には橋脚の道路下にある展望台までの遊歩道「横浜スカイウォーク」(有料)があり、大型客船の通過時などは迫力のある風景を見学することができる。
鶴見つばさ橋(つるみつばさばし)は、神奈川県横浜市鶴見区にある橋。首都高速道路湾岸線の扇島と大黒埠頭とを結んでいる。横浜ベイブリッジと並び、横浜を代表する橋。
中央径間長(510m)は多々羅大橋、名港中央大橋に次いで斜張橋として日本国内3位、また全長(1020m)は一面吊りの斜張橋としては世界一の長さである。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
新婚旅行でペルー&NY 〜3日目 クスコ観光〜(by Uuさん)
3日目、リマからクスコへ飛行機で移動し、クスコ1日観光。
ケチュア語(インカ帝国の言語)で『へそ』を意味するクスコは、かつての大インカ帝国時代の首都であり、太陽神を崇拝する当時の人々にとって宇宙観の中心であった。
そこには強固な石組みの神殿や宮殿が建ち、栄華を誇っていた。
しかし1534年に皇帝アクワルパを処刑したスペイン人(征服者)たちが財宝を求めクスコを占領。神殿や宮殿を破壊し、その礎石の上にゴシック様式の教会や支配者の邸宅を作りかえた。
そのため今は精巧な石組みと欧風建築のコントラストが見られる街となった。
そんなクスコは標高約3399m。
高山病にかかる恐れあり。
夜は高山病を避けて、標高の低いウルバンバへ。
ガイドがペルーに5年在住の日本人(♂)に変わる。
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南アフリカのように、首都が複数存在する国もある。
外国の大使館は基本的に首都に置かれるが、イスラエルのように、外交的理由から他の都市に置かれることもある。
「首都圏」
:しばしば「首都」と「首都圏」は混同されるが、「首都」は、政府機関が置かれている都市(点)であって、「首都圏」は首都とその周辺に広がっている都市の群、すなわちエリア(面)である。
「首府」
:グリーンランドなど非独立国の政庁所在地や、国家内に存在する小国家の政府所在地は、首府と表記される場合もある。
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